近頃、特に女性の間で毒素排出(デトックス)という言葉、あるいは行為がブームになっているらしい。どうせこの言葉が独り歩きして、何でもかんでもデトックス一色になるに決まっている。スーパーやコンビニなど、量産品の並ぶ店では、商品のパッケージが「デトックス」だらけになるに決まっている。全く救いがたい単純さ。恐ろしい。
もちろん、添加物や防腐剤が多量に含まれたものなんか体に入れないほうがいいに決まっている。私はコンビニの弁当は食べないし、マックにも行かない。そんなことはアタリマエ。しかしそれはデトックス的観点でそのように自分を縛っているからではなく、量産品で腐らないものなんか、おいしくないに決まっているから食べないのです。顔が見えない相手を対象に、大量に生産するものなんて、所詮そんなものです。世の中はモダニズム。第三の男のオーソン ウェールズのように、腐ったペニシリンを子供たちに売りつけることができてしまうのである。それは宿命と言うものです。
「毒素」という嫌な言葉。その悪者さえ排除すれば、幸せになれるという新手の世界宗教がまたやって来た。うんざりである。毒なんだから、ないほうがいいに決まっている。その単純さが危ないのである。
思えば私は若いころから、異物をいかに体内に取り込んでも平気でいられるかを競ってきた。高校のころから隠れてタバコを吸い、大学のころは一気飲みをし、できるだけスピードを落とさずに、カーブに突っ込んだ。でもそれは、江戸っ子が銭湯の熱湯のような湯船に痩せ我慢して入ったり、どれだけソバをたくさん食べれるかを競ったりするのと同じ、確かに馬鹿馬鹿しい。しかし人間はそんなに合理的なことばかりで生きていけるのだろうか?たとえばエロスは合理的か?私の答えは「否」である。
サル山でボス猿になることを競うけなげな猿や川をぼろぼろになりながら遡って、精子を撒き散らす愛すべきサケと同じように、オスや男には不合理でもやらねばならぬことがある。
思わず「デトックス!」と叫んでしまう、か弱き女性に憐憫の情は感じつつも、バランスを考えないで、何かが消えてなくなれば世界が幸せになるという、危険思想および世界宗教に私はできるだけ組しないで生きていくつもりである。
願わくは、男のクセに訳知り顔で「デトックス」を説明する奴が、私の前に現れないことを祈るばかりであります。
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